このコンテンツはドゥ・ハウスが2004年12月から2005年10月までマーケターにインタビューし、HTMLメールで配信していたものです。一部、本文中の商品情報やご協力いただいた方々の情報については現在と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
「キユーピー」にした理由
喜山:キユーピーマヨネーズが80年続いているのはなぜだと思われますか?
高宮:創始者の中島のブランドに対するこだわりは大きかったと思います。なぜ、「キユーピー」という名前にしたかということですね。中島は三つ条件を挙げたといいます。一つは、日本語でも外国語でも読める、書けるということ。二つは、絵でも書けること。三つは、誰からも愛されること。この3つの条件に合うものを考えて、「キユーピー」に決めたといいます。キユーピー人形は19世紀から続いていますしね。
喜山:キユーピー人形からブランド名を採ったのですね。
高宮:これならば色んな意味で愛されるだろうと考えたんです。いまは当り前ですが、カタカナの名前の走りでした。そのブランド名を採って、昭和32年に企業名も「食品工業」から「キユーピー」に変えています。これはもう確かめる術は無いわけですが、こういう名前をブランド名にしたのは、日本人を豊かにしたいという想いもあったけれど、日本でマヨネーズを育てたら、今度はもう一度、世界に向けて発信するという夢が、中島にはあったんじゃないかと思います。
喜山:日本で本格的に普及したのは戦後ですか?
高宮:そうですね。昭和23年に生産を再開しました。それから我々の文化は色んな意味で豊かになり、生野菜を食べる習慣がつくようになって、それにあわせてマヨネーズも伸びていきました。
喜山:いわゆる高度経済成長と重なっているのでしょうか。
高宮:普及という意味ではそうです。
基礎調味料だからこそ
高宮:それから、長く続いている理由のひとつに、基礎調味料だからということがあると思います。違和感なく近くにある存在だということですね。もちろんそういう存在になるための努力は惜しんでいませんが。
昭和30年代から40年代には、売るための苦労よりも、良質の原料を確保し多くのお客様へと大量に安定して作ること、が大変だったようです。この時代、食卓にサラダが登場し始めており、それまでは、味噌、醤油だった食卓に、新しくマヨネーズが入っていき、いつの間にか安心して置いてもらえるようになっていたんですね。
喜山:基礎調味料ならではの長い製品ライフサイクルを描いているのですね。
高宮:それから、「本能」もあるんです。
喜山:本能、ですか?
高宮:マヨネーズは7割が「油」です。油というのは動物に欠かせないんです。肉食動物も空を飛ぶ鳥も基本的に飢餓状態にあります。彼らは何を考えているかというと「何か食べ物がないかな」ということです。ありつけなければ死ぬわけですから。食べ物をみつけたときは、よしこれで生きながらえると思うわけです。そしてエネルギー量が多いのは油であるため、動物には油を多く含む食品を食べると美味しいと感じる仕組みがあるんですね。だから、油を美味しく感じるのは本能に近いところがあるのです。それを狙ってマヨネーズを作ったわけではないですが、たまたま油が含まれていますから、マヨネーズが長く親しまれている理由のひとつになっていると思うのです。
名脇役に徹する
高宮:ただ、マヨネーズは名脇役に徹することが大事だと思います。
喜山:名脇役、ですか。
高宮:マヨネーズが主役であってはいけないんですね。美味しいものを食べると、われわれは幸せになります。そこには食卓を囲む家族がいる。そこには笑顔があってほしい。そこにはきっと楽しい会話もあるだろう。そういう団欒を演出する名脇役としてマヨネーズはあるということです。
喜山:キユーピーといえば、きれいな野菜の写真を使ったカレンダーを思い浮かべるのですが、あれも美味しく野菜を食べてもらう名脇役という意味なのですね。
高宮:ええ、そうです。実はここに初期の広告の絵があるんですが。
喜山:家族のピクニックのような絵、これは広告なのですか?
高宮:そうです。ピクニックに来て楽しそうに食卓を囲んでいる、理想的な家族の絵です。
もう一方の絵ではテーブルの上に瓶のマヨネーズがあります。両方とも食卓に、キユーピーマヨネーズが置かれているという図です。われわれはつい忘れちゃうんですね。そういうとき、この絵を見ると、思い出します。家族の団欒をお届けしたいということです。実務をやっているとつい近視眼になって、もっと派手にとか、もっと目立つようにとか思うんですが、そういうとき社内の誰かから、それは違うんじゃないかという議論が必ず起こっているんですね。
喜山:この絵、いいですね。きちんとしたメッセージを感じます。
高宮:当初、中島は売上高と同じ額、宣伝に使っていたそうです。そのこともロングセラーへ寄与していると思います。
喜山:それにしてもリニューアルの時、新しいことをやりたくなるものだと思うのですが、そうはならずにこられたのはどうしてですか。
高宮:忠実に守ってきたんですね。重みがあります。その重さが担当者は辛いですが(苦笑)。でも、縁があって入った会社でマヨネーズを担当できるというのは、冥利に尽きるということでもあります。
喜山:製品としては、現在は成熟期にあると考えればいいですか?
高宮:成熟後期です。現状のままで満足してしまっていては下降もありえると考えなければいけないと思っています。食生活も家族構成も人口構成も変っていきますから。だからマーケティングを考える人間として、新しい何かをぶつけていかなきゃならないと思っています。
喜山:もう少ししたら、標準世帯より単独世帯が多くなりますしね。
高宮:これからは今まで以上に考えていかなくてはいけません。われわれ無意識に、すぐに容量をファミリー・ユースで考えてしまうんですが、そうではないということですから。流通も変化しているから商品を並べる場所だって考えなきゃなりません。
喜山:それはドゥ・ハウスにも当てはまるところがあります。ドゥ・ハウスは、「DOさん・ネット」という主婦のネットワークでマーケティングしてきました。主婦が普遍的なのは、その背景に、いわゆる標準世帯を置いています。
世帯といえば標準世帯を考えれば普遍的でしたから、主婦という存在を媒介に夫や子どもなどのあらゆる属性にアプローチしやすかったのです。ですが、単独世帯の方が標準世帯より多くなれば、人個々をネットワークする重要性が高まってきます。
そういう市場の変化に対応して製品がどう変わっていくかということは今後も続く物語ですね。