ザ・マーケター
このコンテンツはドゥ・ハウスが2004年12月から2005年10月までマーケターにインタビューし、HTMLメールで配信していたものです。一部、本文中の商品情報やご協力いただいた方々の情報については現在と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
2005.04.05
マーケタープロフィール

vol.05[01]

 80周年は、自己確認のタイミング

「The Marketer」では、10年をロングセラー商品の目安に考えています。商品の長命化は困難を増している現在、10年は相当高いハードルです。しかし今回の商品はちょうどこの春に80年を生きたものです。ロングセラーの名にふさわしいその商品は、圧倒されそうな歳月をどう生きてきたのでしょうか。

Pick Up!

キユーピーマヨネーズ

過去を振り返る

喜山:先日(3月1日)の日経新聞の全段広告を拝見しました。キユーピーマヨネーズは、80年という大変な歳月を生きてきた商品なんですね。このタイミングで製品開発に反映させたことはありますか。

高宮:80年というのはまだ途中の通過点ですから、特別何かということはありません。確かに節目といいますか、いい意味でのお祭りではありますからリニューアルした点もあります。ただ、基礎調味料ですから大きく変えるわけにはいきません。原点は変えずに、ですね。

ひとつは、キャップモデルをダブルキャップ(これまでの星型と細く線描きできる細口の2通り使えるキャップ)にしました。使い勝手をよりよくして、たとえばお好み焼きに使うときでもマヨネーズをかけやすいようにしました。

それから、350gというサイズを出しました。派手なことではないんですが、いままでマヨネーズというと、この500gの大きさが標準だったのです。ところが今、20年前と比べますと間違いなく世帯構成が変わったり他の調味料も増えたりしていますので、350gのサイズも出したのです。

また、熟年の夫婦の購入率の高いマヨネーズ200gについてはユニバーサルデザインを意識し、裏面の表示を文字を大きくしています。こちらもダブルキャップで片手で開けられ絞りだせます。

もうひとつは、製品をよりよくするという意味で、「キユーピー ゼロ」と「キユーピー クオーター」を春に見直しをしました。ちょうど今、店頭に並び始めた頃だと思います。

喜山:80年ならではのイベントというより、通過点として捉えてらっしゃるんですね。

高宮:過去を振り返るいい機会だと思っています。

10年間、待って市場に出した

マヨネーズ瓶

喜山:新聞広告を拝見すると、最初の頃、「マヨネーズはサケ、カニやアスパラガスの缶詰といっしょに食べることが多かったようです」とあって、今とあまり変わらなかったのかなという印象を持ちました。

高宮:そういうわけでもないんです。今のように、サラダという名称で生野菜を食べるという習慣は、当時、無かったわけです。それまではお味噌や醤油で、マヨネーズソース自体、食べたことがないわけですから。そこで、最初はサケやカニといっしょに食べると美味しいですよと、三越デパートで試食をしていただいたんです。買っていただくというより、食べていただくということから始めました。当時からメニュー提案ですね。

喜山:80年ということは、ほぼ昭和の始まりと重なるわけですね。すると舶来品だったわけですか?

高宮:文明開化をして進んでいった途中で、どんどん新しいものが出てきた時代です。キャラメルやチョコレートなど、そういうもののひとつです。創始者の中島がマヨネーズを作ろうと決めたのは大正4年なんです。その時、中島は農商務省の海外実業練習生として食品の勉強をしにアメリカに渡っていたのです。向こうに行くと、みんな身体が大きいのを目の当たりにしました。当時、日本人は身体も小さく50才が平均寿命でした。同じ人間なのにどうしてこんなに違うんだろうと考えると、食べ物が違うんです。アメリカではマヨネーズとサラダを日常的に食べていました。中島もジャガイモ、刻んだタマネギ、ほぐしたゆで卵を混ぜ合わせマヨネーズをかけてよく食べたと言います。マヨネーズは栄養価が高く健康にいい美味しい食べ物だと興味を持っていました。

大正天皇の即位のパーティに呼ばれて行くと、鮭缶の鮭をほぐしタマネギをみじん切りにしてマヨネーズであえたものが出されていて、日本人が皆美味しそうに食べています。この光景を見て「これだ」と確信したのです。マヨネーズは、スペインが発祥の地と言われていますが、日本にはアメリカを経由してやってきたんですよ。

喜山:日本人の寿命を考えたんですか。漠然と、マヨネーズは、和・洋・中の「洋」のウォンツを持ち込んだものと思っていましたが、健康というニーズに応えたものだったんですね。

高宮:中島はそれから資本や環境を整えることに奔走します。基本的に全く新しいものですから、受け容れられる状況を待たなければならないと考えたのです。食べ物については基本的に人は保守的ですから。中島は西洋化のタイミングを待っていたんです。

その機会は、関東大震災の後にやってきました。まず、通勤するというスタイルが生まれました。それまでは2階に住んで、行ってきまぁすと言って1階に下りるとそこが職場でした。震災後、郊外に住んで都心に勤めるという生活スタイルが生まれたのです。そして、それまでの女学生が長い袂の着物にエビ茶色の袴といった和服から洋服を着るようになりました。

ハイカラさんが増えたわけです。中島は食べるものも変わるのはこの時だと思ったのです。それで大正14年に、日本で初めてのマヨネーズソースを発売しました。この間10年です。

喜山:先日、「昆布ぽん酢」の開発を伺った時に、発売まで1年待ったという話をお聞きして、90年代にあって大変なことだと思ったのですが、10年待つということもすごいですね。

高宮:それだけ、製品開発にはタイミングが大事だということだと思います。それ以前では、受け容れられずに終りかねなかったわけですから。

それに日本で発売するときには栄養価を高くするために卵の黄身の比率を2倍まで上げているんです。だから日本のマヨネーズは黄色いんですね。和食にあるコクと栄養のバランスを表現したのです。お客さまにとにかく栄養価があって美味しいものを食べてもらいたい。それに尽きるんですね。

それは80年経っても変えていません。われわれが変えていいところと変えてはいけないところがある。その軸足を変えてはいけないですから。

変えずに来た

高宮氏

喜山:そこに一貫したものがあるわけですね。この、「Food for age, 0-100」という表現も、創業時の、体格向上に貢献したいという想いとつながっているように聞こえてきます。

高宮:このキャッチフレーズ自身は、21世紀のわたくしどもキユーピーの企業スローガンとして考えたものです。自分たちが目指すものは何だろうと議論しましてね。やっぱり赤ちゃんからお年よりまで、「それぞれの世代においしさ、健康、安心を提供したい」という想いを表現しようと考えました。これまでのことそしてこれからの向かいたい方向性を考え、一番大切な方のために食べていただけるようなものを作っていこうという想いです。

喜山:この表現自体は、21世紀に打ち出したものなんですね。でも、創業時の想いに直結できるフレーズですね。


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